2014年11月5日水曜日

Les Paroles de "Vitalie" (Rimbaud Spectacle Musical) ~「ヴィタリー」の歌詞~

前回のリシャールとランボーに関するガラコン絡みの記事からの続き。

早速、フレンチ・ミュージカル・コンサートで披露されたRimbaud Spectacle Musicalの「Vitalie(ヴィタリー)」のオリジナルのフランス語詞と日本語訳(拙訳で恐縮ですが。。。)を載せていきたいと思います。

前回のミニ・インタビュー(下記参照)に引き続き、厚かましいお願いではあったのですが、前回と同様、快く歌詞を教えてくれたリシャールには感謝です。本当にどうもありがとう!

Rimbaud Spectacle Musicalの詳細を知りたい方は、以前まとめたものがありますので、下記のリンクをご覧ください。

・アルチュール・ランボー(Wiki)→こちら
・ミュージカルの登場人物、背景→こちら
・Rimbaud Spectacle Musicaleに関するリシャールのミニ・インタビュー→こちら
・ミュージカルができたいきさつ→Part1Part2

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まずは、この歌の背景から。
リシャールに会場であまり説明がなかったんだ、とメッセに書いていたら、下記のような説明も付けてくれたのでそちらも載せておきます(会場で販売されていたパンフの解説と被るところもありますが、ちょっとだけこちらのほうが詳しいかと思います。)。

Explication de la scène : Arthur est parti à Paris sans avertir sa mère. Il s'est fait arrêter par des policiers dans le train puisqu'il n'avait pas d'argent pour payer son billet. Il fut reconduit chez son professeur (en mentor) George. George croit qu'Arthur devrait montrer plus de respect à l'égard de sa mère, Vitalie. Arthur n'est pas d'accord. (La chanson VITALIE représente cette discussion entre le jeune poète et son professeur à propos de la mère d'Arthur)

舞台の説明:アルチュール(・ランボー)は母に事前に何も言わぬままパリへと旅立った。彼は切符代を払うお金がなくなり、電車の中で警察に 逮捕されてしまった。アルチュールは先生(師でもある)ジョルジュの元へと送り届けられた。ジョルジュは母であるヴィタリーに対してもっと敬意を払うべきだと思っている。しかしアルチュールはそうは思わない。(「ヴィタリー」は、この若き詩人と彼の教師とのアルチュールの母に関しての口論を表現している曲なんだ。)

註)リシャールは、はっきりとは書いていませんが、この歌は、1870年、ランボーが初めて家出したとき(おそらく当時16歳ぐらい。)のことを歌っている曲なのだと思います。ランボーが生まれ育ったシャルルヴィルという街(現在は、他の都市と合併して、シャルルヴィル=メジエールとなっている)は、フランスといっても、まさにフランスの外れ(ベルギー国境の街。)に位置しており、アルチュールにとっては、こんな退屈な田舎暮らし、してられるかということで、家出をしたということのようです。


シャルルヴィルの様子。アルノーさんとリシャールが
ランボーゆかりの場所を巡っています。

シャルルヴィル・メジエールの様子(恐らく観光局のオフィシャルビデオ。
後半にランボー関連の博物館などが出てきます。個人的には素敵な街に
見えますが笑。)。


もともと、アルチュールは母と大変折り合いが悪く(反逆的、前衛的な息子と、とっても厳しい、全てをコントロールしようとする保守的なお母さん、なのでまあこういう関係になってしまうのは驚きではありませんが苦笑。)、そんな母から逃れるという意味合いもあったのだろうと思います。

ジョルジュは、アルチュールの学校の先生であると同時に詩や文学の世界へアルチュールを導いた師でもあり、理解者でもあったようです。というわけでアルチュールからすると、兄、あるいは父(年齢的には6歳しか違わないのですが。)のような存在であり、母よりもむしろ頼りにしていた相手だったようです。

この家出事件の際に警察に拘束されたときも最初に連絡したのは、母ではなくジョルジュだったようです。ジョルジュはこの曲にもあるように、ランボー家(主にヴィタリー)とアルチュールの間に入って関係を修復するよう働きかけをしていたようです(ランボーを保護したときも、すぐにシャルルヴィルの家には帰さず、彼の親戚の家に滞在できるよう取り計らいをしました。)。しかし、その努力もむなしく、、、この1回目の家出のあと、すぐにアルチュールはまた家出をし、その後も家出を繰り返します。そして、ヴェルレーヌとのアヴァンチュールを始めます。。。
 
歌の主人公であるアルチュール・ランボーの母、「ヴィタリー」。
確かに意志の強そうな女性。
一応、楽曲も。00:30ぐらいから"Vitalie"の一部分が聴けます。

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VITALIE (ヴィタリー)

Paroles : Arnaud Kerane - Richard Charest Musique : Richard Charest)
歌詞:アルノー・ケラン&リシャール・シャーレ 
曲:リシャール・シャーレ
(歌詞については上記お二人のものなので、無断転載はご遠慮ください。)

(G: Georges (ジョルジュ)、A: Arthur(アルチュール))

GEORGES : Vitalie erre petite femme en noir  
Discrète et fière et sans histoire           
Vitalie erre sombre et fragile            
Entre Mézières et Charleville            

ARTHUR : Vitalie sème ses faux sourires    
Jusqu’au marché jusqu’à l’église       
Vitalie reine d’hypocrisie               

ARTHUR : Vitalie traîne son coeur de pierre 
De marbre froid de cimetière           

GEORGES : Vitalie pleure le soir venu     
Ce fils qu’elle ne reconnaît plus        

ARTHUR : Vitalie elle je la méprise      

GEORGES : Mais qu’a t-elle fait de si terrible ?

ARTHUR : Vitalie elle détruit ma vie      
                             
GEORGES : Vitalie elle tu la détestes    

ARTHUR : Dans chaque vers dans chaque geste 

G+A : Vitalie elle détruit (ta) ma vie           

G+A : Vitalie perd fils et mari                

ARTHUR : Sut-elle vraiment nous retenir 

G+A : Vitalie c’est (ta) ma déchirure    

GEORGES : Ta mère Jean Nicolas Arthur 
        Ta pauvre mère                                       
GEORGES : Ta mère               

ARTHUR : Mon ombre              

G+A : (Mon) Ton sang              

G+A : Complice                   

G+A : Vitalie saigne se sacrifie         
         En nous toujours sommeille              

A : Un mauvais fils                    

G : Un mauvais fils 

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 (日本語訳)

*詞なので、わりと自由に訳してしまっている(文法通りでない)ところや、訳出上、仏語の文と語順が異なっているところがあります。というわけで、あくまで参考程度に読んで頂ければと思います。
仏語的な観点に興味がある方用にちょっと注釈もつけておきました。ご興味がある方はそちらもご覧ください。(内容は、前回の記事に載せた「ヴィタリー・ランボー-息子アルチュールへの愛(クロード・ジャンコラ著)」やWiki情報を参照しています。)。
                    

ジョルジュ ヴィタリーは彷徨う*
         彼女は、小柄な女性で黒い服を着て
         質素で誇り高く、平凡な生活を送っている**
      
         ヴィタリーは彷徨う
         メジエールとシャルルヴィルの間で
         彼女は、陰気で脆い人間だ***

*errerという「さまよう、さすらう」という意味の動詞が使われていますが、これはおそらく、その後に出てくるelleと韻を踏むために選ばれたことばだという気がしますが、どこに行ったかわからない息子を探して、実際に奔走したヴィタリー、または、そんな息子を探して精神的にも、彼女の心はさまよう、といった感じだと思います。

**ヴィタリーの保守的な様子の描写。農民出身の彼女は、幼い頃に母親を亡くし、若いころから家を取り仕切る役割を担わなければいけない状況にあり、大変苦労をしたようです。というわけで、質素こそ美徳と思っていた女性であり、息子アルチュールは、このような「平凡」「平穏」な生活をする母を侮蔑しているわけです。 

*** sombre(陰気) et fragile(脆い)とありますが、ヴィタリーはやはり上記のような人生を送ってきた女性のため、決して愛想のよい女性とは言い難かったようです苦笑。しかし、アルノーさんとリシャールはここで彼女について「fragile(脆い)」という表現も同時に入れています。彼女は、表面上、厳格かつ強気な女性だったわけですが、その奥に、子どもの家出に激しく動揺する「脆さ」も同時に併せ持った二面性を持った女性ということを二人は表したかったのではないでしょうか。以降、ジョルジュの歌詞にはヴィタリーの「隠れた顔」とも言うべき面が語られます。

アルチュール:ヴィタリーは偽りの微笑みを振りまいて*
            市場や教会においてまでも**
           ヴィタリー、偽善の女王

*ヴィタリーは、周囲の自分や家族の評判を非常に気にしていたといいます。当時、珍しかった母子家庭であったこと(後半に父の話がでてきますが、アルチュールの父は彼が幼いころに家を出ていました。)、等、世間から後ろ指を指されてはいけない、との半ばプレッシャーのような思いがそうさせたのではないかと思いますが、とはいえ、そんな表面だけ繕ったような生活を送る母をランボーは痛烈に批判している、というわけです。

**保守的なヴィタリーは、大変信心深いクリスチャンでもあったといいます。つまり、教会に絶対の信頼をおいているような人間であり、彼女の生活範囲というのは、まあ教会、市場、それぐらいの狭い範囲なんだ、といったアルチュールの侮蔑の意味合いがここには、含まれているのかもしれません。

アルチュール:ヴィタリーはいつも墓地の大理石の墓石のような冷徹な心の持ち主で*

*traînerという動詞の本来の意味は引きずる、ですが、そういう心を引きずる=いつもそういう冷たい心のままだった、ということなのだと思います。「優しい母」像とは全く逆ですね。しかし、ジャンコラさんの本にも書いてあって、ああと思ったのですが、父がいなくなって以降、ヴィタリーは母親であったと同時に家の権威としての父親の役割も同時に果たしていたわけで、「愛情深い母」でいることはできなかったと考えることもできるのではないでしょうか。

ジョルジュ:  ヴィタリーは夜が来ると、泣いている
           この息子はもう私の知っている息子ではないと

アルチュール:ヴィタリー、おれはあいつを軽蔑している

ジョルジュ:    でも、彼女は何かそんなひどいことをしただろうか?*

*ジャンコラさんの本を読んでいた限りだと、ジョルジュは、ヴィタリーがアルチュールを抑圧しているということは理解しており、アルチュールに同情するところも多分にあったようですが(ジョルジュ自身、ヴィタリーから「息子に悪いことを吹き込んだのはお前だろう」といったようなことも言われていたようです苦笑。)、それでも、彼を家に送り届けたり、やはりジョルジュは先生として、あるいは「兄」として、家族なんだから、という思いがあったのかもしれません。でも、このような中途半端ともいえる思いが、若きアルチュールには気に食わなかったんでしょうね笑。

アルチュール:ヴィタリー、あいつは俺の人生をめちゃくちゃにした

ジョルジュ:ヴィタリー、きみは彼女をひどく嫌っているね

アルチュール:言葉の一言一言、振舞い一つ一つにも*

*これは、ジョルジュの「きみはひどく嫌っているね」を受けているので、アルチュールが言葉、行動すべて気に食わない!と言っているということなんだと思います。言葉に当たる語は、vers(通常は、「詩句」の意味)が使われていますが、ここでは、 「詩」では意味が通じないので、言葉と意訳しました。

2人:ヴィタリー、あいつは(君の)俺の人生をめちゃくちゃにした

2人:ヴィタリーは息子と夫を失った*

*息子はもちろんアルチュールを指すので、彼が家出をした、さらには、心、精神的なつながりについては、まったく彼女の元から離れてしまったということをperdreという語で表しているのだと思います。そして、アルチュールの父、すなわちヴィタリーの夫フレデリックは、軍人だったのですが、元々留守がちであった上にヴィタリーと折り合いが悪く、アルチュールが幼いうちに家族を置いて家を出て行きました。(ヴィタリーは、以後、彼が生きている間も「寡婦」として生きていたそうです。)頼るべき夫もおらず、また期待を掛けていた息子にまでも愛想をつかれた、ちょっとかわいそうなお母さん。。。

アルチュール:あいつは俺たち*を引き留めておけると思っていたんだろうか?

*nous(私たち(ランボーなので、俺たちとしましたが。))は、ここでは父とアルチュールのことを指しているはずです。retenirは引き留める、留まらせる。ここは反語だそうなので、いや、引き留められなかった。→前述のように、夫と息子を失った、ということを半ばえぐるような形でアルチュールは表現しているわけですね。ここにも、アルチュールの母への侮蔑の気持ちが溢れています(苦笑)

2人:ヴィタリー、それは(君の)俺の心を引き裂くもの*

*déchirureは辞書を引くと裂け目、破れ目、悲痛な思い等の意味が出てきますが、ここでは、動詞のdéchirer(引き裂かれる)を名詞化したような感じで訳してみました。心を引き裂く→激しい苦痛を与えるもの、ひどく苦しめるもの、ということなのではないかと思います。また一段と激しい母への憎悪を感じさせる言葉です。。。

ジョルジュ:君のお母さんじゃないか 
      ジャン・ニコラ・アルチュールよ*
      気の毒な君のお母さん

*突如、ジャン・ニコラ、と出てきて誰?と思ったのですが、ランボーの本名は、Jean Nicolas Arthur Rimbaud。というわけで、本名を全部呼んでいる、ということです。

ジョルジュ:君のお母さん

アルチュール:俺の影*

*母が常に自分の人生に影を落としている、といった意味でしょうか。また、英語版のWikiを見ていたら、アルチュールは母のことをbouche d'ombre(影の口)と陰で呼んでいたようです。

ジョルジュ:(俺の)君の血*

*sangは文字通り、血、ですが、血縁、「血は争えない」の血、ということだと思います。 つまり、ジョルジュからすれば、そうはいってもヴィタリーは血を分けた君のお母さんなんだよ、ということであり、アルチュールからすると、いまいましい、「血」が自分の中にも流れているんだ、ということなのかもしれません。

2人:共犯者*

*原文のCompliceという言葉。この単語は、ヴィタリーとアルチュールの関係性を実に鋭くいい当てている言葉だと思うのですが、こちら訳にとっても迷いました。辞書的な意味は、訳にも載せたように共犯者ですが、実際にここでアルノーさんとリシャールが表現したいことは、おそらく、この親子は、性格が正反対のようで実は似た者同士、むしろ切り離せない、お互いを必要とする関係にあった、ということなのではないかと思います。

というのも、ジャンコラさんの本にもあったのですが、実は、母ヴィタリーも当時夫に帯同して行動するのが一般的な時代に、夫の赴任先に一緒に行くことを拒否したり(これは彼女の選択)、母子家庭で女手一つで4人の子どもを教育熱心に育てたり、現代の言葉でいえば、だいぶフェミニスト的視点を持った女性であったそうです。というわけで、思考としては大変保守的だったかもしれませんが、その一方で「自立した女性」という意味では、「時代の最先端を行く女性」であり、そういった意味でアルチュールはそんな母の「伝統と権威に楯突く」という性質を受け継いでいるともいえるわけです。このように対立しあうのも実は似すぎているから、結びつきが強すぎるからということを端的に表した言葉だと思います。簡単に言うと愛しすぎて、憎いみたいな感じ(笑)でしょうか。アルノーさんとリシャールの詞のセンスが感じられる言葉です^^

2人:ヴィタリーは血を流す*ほどに、自分自身を捧げた

*saignerは文字通り、血を流すという意味ですが、それほどまでに子供たちに期待をかけ、自分のすべてを犠牲にして、育てていたということを表した言葉だと思います。まさに血の滲むような思い。ここ、実はジョルジュ、アルチュールの2人で歌う箇所になっています。最後の部分だから、ということももちろんあるのかもしれませんが、ひとつ前の部分でcompliceという2人の関係性が明らかになった後なので、アルチュールも母を肯定?するような歌詞を歌っているのかもしれません。 もしくは、そんなことしたって、俺から自由を奪うことなんてできないんだぜという反骨精神か。。。笑。こうなるともうイマジネーションの世界ですが。

2人:我々の中には常に親不孝な息子が潜んでいる
   親不孝な息子が

   

さて、最後の部分。ここがまさに、リシャールがヴィタリーの本にサインをしてくれたときに書いてくれた部分ですが(ミニ・インタビューの中でもリシャールはこの部分について触れていたはず。)、詞全体を読んで、なぜリシャールがここを選んだのかやっとわかりました。En nous(私たちの中)となっているところからもわかるように、これは、アルチュール、ジョルジュの対話という枠を超えて、すべての人に、というちょっと普遍的な話になって終わっています。

この「我々の中には常に親不孝な息子が潜んでいる」 という言葉、確かに、、、と思いました。自分は基本的には「優等生」と呼ばれて過ごしてきたタイプの人間ですが(爆)、それでもいつもそういった「反逆児」の自分を心の中に感じていました(それが出ちゃうこともあったけど笑。)。というわけでこの文、そうそう、これすごいわかる!と思って読んでしまいました。

さて、全体を通しての感想ですが、2人のやりとりとしては、リシャールの説明にもある通り、怒れる若き詩人をなだめる先生の「会話」といった感じですが、最後のcomplice然り、「En nous toujours sommeille un mauvais fils」然り、ヴィタリーの二面性をジョルジュに語らせているあたり、人間の複雑さ、皮肉、生々しさ、等々、「美しいだけではない真実」を描いている気がして、おもしろいなあと思いました。そのほかの曲もきっとこういった人間の奥深さ、複雑さを感じさせてくれる曲がいっぱいあるのではないかと期待。。。

言葉の選び方を見ても、普段あんまり見かけない文学的な言葉(単に自分のフランス語が足りないだけ疑惑もありますが苦笑。)が入っていたり、韻が美しく踏まれていたり、芸術度も高いなあといった印象を受けました。

いずれにしても、やっぱり、早く実際の舞台を見てみたいなあと改めて思いました^^

リシャール、公演実現への活動、ぜひぜひがんばってくれ。。。




*和訳に当たって、いろいろな示唆を下さったMewさん有難うございました。
そして、フラ語の歌の構造が全くわからない中丁寧にいろいろ教えてくれたAさんもどうもありがとう。 

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